neleusの投稿 (11月 7, 2009)
2009年11月1日付のニュースで、産経新聞が以下のような記事を掲載してます。
【衝撃事件の核心】レアな淡水魚を産地偽装 会社員の危ない“副業”
環境省が絶滅危惧(きぐ)種に指定している淡水魚「イチモンジタナゴ」を、捕獲が禁止されている滋賀県の琵琶湖産と偽って、ネットで販売したとして不正競争防止法違反(原産地の虚偽表示)の疑いで埼玉県伊奈町の会社員、中根弘倫容疑者(40)が滋賀県警に逮捕された。中根容疑者は自宅で、国が捕獲を禁じている絶滅危惧種で天然記念物の淡水魚「アユモドキ」や「ミヤコタナゴ」も無許可飼育しており、文化財保護法違反容疑も持たれている。
いやもー、どっから突っ込んで良いのやら。
この人を擁護する気はまったくないが、この機会に希少な淡水魚の採集と飼育、また飼育者としてのモラルについて思っているところを書いてみる。まずは用語について、少し触れておこう。
文科省の管轄で文化財保護法に基づいて指定(*3)。博物学的に珍しいもので、動植物だけでなく地質・鉱物なども対象になる。文化財なので当然、許可が無い限り採集等は禁止。
以上のように絶滅危惧種の採集や飼育は、法的な罰則のないグレーゾーンとみなすこともできる。絶滅危惧種を個人が採集・飼育することは、社会的に容認すべきではないのだろうか?
こうした記事で槍玉に上がるのは、コレクターと密漁者である。しかしながら、自分の経験から言って、これらが悪だという一方的な主張には疑問を覚える。
日本産淡水魚の飼育経験がある知人は何人かいるが、彼らは魚を含めた生態系と人間の影響に、強い関心を持っていた。興味の対象が喪失するのを恐れるという点で、魚と利害を共有している。多くの人にとって河川の護岸や浚渫、砂防ダムといったものは、単に景観問題でしかないが、魚にとっては死活問題である。
見慣れない動植物に興味を持ち、手元において観察してみたいという抑えがたい欲求が、飼育を趣味にする者にはある。自然に対するセンスオブワンダーが、生物学の根源的な推進力でもあると自分は思う。絶滅危惧種の採集を学術的な研究や保全目的に限るべきという考え方もあるが、 そうして隔絶された「自然」に、当の私達人間はどのような価値を見出せるだろうか。
断っておくが、希少種の採集や飼育を奨励する意図はまったくない。希少か否かに限らず、生物を飼育するという行為そのものは、究極的には自分の好奇心/所有欲/審美眼を満足させるというエゴイスティックな感覚に根ざしていることを飼育者は忘れるべきではない。
淡水魚の採集・販売業者への批判が、愛好家の間でしばしば起こる。ナショナリズムじみた自然保護感情など清濁まぜこぜな印象だが要点は一つ。商業主義がまかり通ると種が絶滅する、とまあこれ自体は一般論として正しいと思う。象など大型動物の保護では間違いなく正しいし、マグロなど漁獲される魚種も同様の傾向がありそうだ。
しかしながら、これが淡水魚でも同様かというと・・・絶滅危惧種に指定され全国紙で報道された数少ない魚種であるメダカを例に説明しよう。メダカは3ヶ月で性成熟を迎え、野外の寿命は一年しかない。短い死亡-繁殖のサイクルは年間の個体数の増加が早い反面、生息環境の改変による影響を受けやすい。一度繁殖に失敗すれば、即全滅のリスクをせおっているから。こうした魚種では、採集よりも生息地の改変の方が重要になってくる。そして、日本の淡水魚種約300種のほとんどは1~2年で完結する生活史を持つ種類なのだ。淡水魚の売買はホームセンターなど人目につきやすいため、批判に遭いやすいが、潜在的な影響力という点では他の要因(河川や圃場整備などの環境改変、生息地の消失、国内・国外の外来種の侵入)に比べて小さい。
コレクターのところでも指摘したが、人間との関係性を放棄したところで「自然保護」は成り立たない。それが例え、ショーギョー主義による金銭に基づく関係性であれ、無いよりマシだ。人間の影響で絶滅しかかっている淡水魚の多くは、そもそも彼らの存在が人間にとって「透明」だからである。体長数cmで食用その他の経済的価値もなく、河川の流路や用水次第で生息地の分断が簡単に生じ、さらに中流から河口域のアシ帯などを主要な生息域とする淡水魚の多くが、耕作を行ったり都市を建設したりする人間と土地要求というニッチにおいて競合関係にある。それがもたらすシンプルな帰結が、強者による一方的な搾取(=絶滅)に他ならない。
ホームセンターで死んだまま放置され真っ白になった状態で他の個体からつつかれている魚の死骸は、私達人間に対して良き教材、警告の役割を果たすだろう。
国際自然保護連合(IUCN)が3日発表した2009年版の絶滅危惧種リスト(レッドリスト)で、絶滅の恐れがある生物が前年より363種増え、1万7291種に達したことが分かった。
日経新聞の記事のとおり、人間の影響による種の絶滅とは現在進行形で、世界中で続いている問題である。ほとんどの動植物は人間と直接の利害関係など持たない、路傍の石と同じである。だからこそ、自然の保全においては、無知と無関心こそが最も厄介な敵なのである。
昔は雑魚だったものが人為的な環境変化によって個体数が減っているだけのこと。養殖すればいくらでも繁殖するものを飼育を制限しているから個体数が増えないだけ。増やそうと思っても増えない種と同じように扱うのは行政の不作為です。みんなで飼育繁殖させれば絶滅の心配などまったくない、タナゴ類はね。
ではなぜタナゴなどの日本在来種が絶滅の危機に遭遇しているかと言えば、その原因は種々ありますが大きな要素として外来肉食魚の蔓延があります。
その他に河川の改修による環境の変化など、でもこれらの原因は人為によるものです、しかも行政のね。それなのに国民による捕獲や飼育を禁止すればそれらの問題が解決するかのようなおかしな規制をするのは間違いです。おなじ自然界の生物であるアユは養殖放流によって絶滅を免れています、これらの状況を正しく理解し対策をとる義務が行政にはあります。もちろん外来種駆除も含めて生息環境の改善を急ぐことです。
http://ikemidoujou.com/bun/mougen/mougen32.htm
おかしな規制を解除しだれでも飼育繁殖させることができればミヤコタナゴやイタセンパラもどこにでもいるただの雑魚になります。
検挙された素人の愛好家でも繁殖できるほど容易なことです。むしろ専門家と言われているおかしな知識人より繁殖は上手でしょう。
>人間の管理下に一度置かれた個体を野生環境へ戻すことは、慎むべきです。
でもアユは養殖稚魚を河川に放流しています。養殖魚であっても自然界で生育できることが確認できれば放流はいいと思います。また現在での課題は生息環境の改善がほとんど出来ない状態であることです。ブルーギルなどの肉食外来種の速やかなる駆除が必要です。それが不可能なら閉鎖された環境での愛好家の飼育繁殖を認めるてもいいと思います。遺伝子撹乱などの弊害が予見されるならそれを防ぐ方法として必要なら許認可制度を確立してからでも。もちろん違反者には罰則規定も備えて。
9月 28, 2011 at 9:32 pm
禁止するから違反行為となるので禁止しなければ合法となる。無許可で飼育するのが違反行為なら飼育能力があれば許可すればいいだけ。なぜ禁止するのか?疑問である。