水槽と家具

贖罪とハンディキャップ、エコを支える消費者心理、 「モードとエロスと資本」 【読書メモ】【経済】

Posted on: 5月 30, 2010

原題:モードとエロスと資本
著者:中野香織
出版:集英社新書

2000年代以降のモード(=ファッション業界)を取り巻く社会状況を概観してる。21世紀は、贅沢 → エコに価値観が切り替わることで「倫理的」なことが賞賛されるようになると言うのが、大きなテーマ。でも、倫理的なものが社会的に要求される理由が「消費することによる後ろめたさ」から解法されるための贖罪、という点に疑問を覚える。

贖罪エコには商業的な取り組みがあって、Wired Vision の記事「新エコ・マーケティング戦略:「贖罪エコ」」では、ミネラルウォーターのボルヴィックが売上の一部を、アフリカでの井戸作りとメンテのために費やしていることを紹介している。

漠然とした「良きこと」のプロモーションではなく、「悪しきこと」を消すことにフォーカスされたアプローチ。途上国の学校建設への寄付は「良きこと」。しかし水の罪は水に流すのが一番。

(中略)

消費者は、自らの購買決定が直接引き起こす害悪を償うというアピールに、より強く反応するのではないか。

衣料品でも同様に、オーガニックな綿花栽培や現地の職人を雇用することで、地域経済への利益の還流を行おうという流れが生じている。これらの贖罪エコに消費者が反応することは分かった。でもなぜ?

贖罪とハンディキャップ

「贖罪エコ」と言われるものが訴求する消費者の心理には、2つの異なる側面があると思う。

1つめは、環境負担というコストを削減しようとするエコ。本来の意味での「贖罪」に近いもの。
消費活動により生じる環境への悪影響、これらを個人も社会もコストとして捉えて、貨幣経済の中に変数として組み込むことで、それを最小化する方向へ行動を変化させようとすること。

2つめは、ハンディキャップとしての「エコ」。コストが担保されない信号は、誰でもコピーして発信できるため、所有者の「資質」の証明につながらない。だから、これまでは他人より多くの「モノ」を所有すること(=贅沢)がハンディキャップ信号として、使われた。

一方、ポスト稀少時代という言葉が象徴するように、あらゆるものが大量生産できる現代で、多くのモノ・情報を所有することは必ずしもコストとならない。ここにきて「エコ」の登場となる。手間暇と金をかけ、自然にも配慮して多くのコストを払ったから「こそ」、尊ばれるのだ。

エコは現代の喜捨?

消費を後ろめたい、と感じたとしてもそれが自身への直接的な被害として帰ってこない限り、人はそれを気にすることはない。100円でネットブックを買ったとき、その背後に奴隷的な待遇で働く中国人労働者がいることを多くの人は気にしない。

罪を贖うという発想ではなく、金持ちが貧乏人に余った分を払うという喜捨こそが、贖罪エコと呼ばれるものの本質ではないか。

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