水槽と家具

合理性とシステム化は鉄の檻か? 「マクドナルド化する社会」 【読書メモ】【経済】

Posted on: 10月 12, 2010

原題:The McDonaldization of Society
邦題:マクドナルド化する社会
著者:George Ritzer
監訳:正岡寛司
出版:早稲田大学出版部 2003, 3,31 初版第11刷

 

10年ほど前に発行された本。当時が将来をどう捉えていたかという視点で読むと面白い。

本書は、社会のあらゆる場所で合理的なシステム化(=マクドナルド化)が進んでいることを論証する。マクドナルドのサービスは、世界共通どこでも通用するという安心感を与えるが、そのためにサービスはマニュアル化され、限られた行動ルーチンのみが許される。そうした見かけ上の自由に満足し、官僚的な鉄の檻に人間が囲い込まれるのではないか、という主張が繰り返される。しかし、この主張に2010年の現状から見て、説得力があるように思えない。

1つは、人々がマックを支持し、受け入れた事実そのもの。
コカ・コーラ社の歴史について読んだときも感じたけど、新しい産業がこれまでの産業と生活スタイルを「変えるから悪」というのは、保守的に過ぎる。
2つは、合理化が行き着く先がガチガチの官僚主義であるという終末予想自体が疑問だ。

究極的なマクドナルド化であるIT産業で、働く人間が鉄の檻に閉じ込められているだろうか?そうではないだろう。TechCrunchのMichael Arringhton の言葉は力強く、官僚主義とは対極に位置するものだ。

誰もがシリコンバレーの修正案を持っているが、概して一番うまくいくのは、人々がシリコンバレーを放っておいた場合だ。起業家たちの狂気じみて(たぶん病気の)躁病的な夢物語が、最小限の市場の力に支えられて、われわれはここまで来た。そして、これからも同じように動いていく。

工業生産技術の進歩は、衣食住という基本的な物質的制約から人間を解放した。

日本を含む先進国の人間にとって重要なのは「生活」ではない、真に重要なのは物質的な基盤上に構築された、法律や企業文化、技術体系、価値観といった抽象化されたレイヤーだ、社会的ソフトウェアと言っても良い。

それをどうデザインし、組み換えてやるかで新しい価値が生まれるか決まるし、それを我々はやらねばならない。なぜなら、グローバル化した現在、既に確立された技術による生産と単純労働は、安い資源と人件費の抑制を求めて生産拠点を国外へ移動していくからだ。こうしたグローバル化による世界経済の変化は、「フラット化する世界」で、より詳細に論じられている。現代は、誰もが赤の女王の部屋にいる。同じ場所に立ち続けるには、走り続けなければならない。

合理化が社会の硬直化を招くというのは誤りだ、明確なルールが確立されることを通じてはじめて、人々は議論し、競争し、協力することができる。我々は鉄の檻でも、木の柵でも、野原に出ることも選ぶことができる。とはいえ、論理の展開こそリッツァと自分は異なるが、奇しくも結論は同じ場所にたどり着いた。リッツァは鉄の檻から逃れる方策として語ったが、自分はどんなルールが存在しうるか、また、どのルールが適切なのかを見極めるため、そう行動するべきだと考える。つまり、

  • 日常をルーチン化することを避け
  • 自分で考えて判断し、行動せよ
  • 「本物」の人間と接することに時間を費やせ

    自分の人生の物語を語るのは、他ならぬ自分自身であることを思い出そう

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コメント / トラックバック4件 to "合理性とシステム化は鉄の檻か? 「マクドナルド化する社会」 【読書メモ】【経済】"

う~~ん、結局今の社会も、タートルネック神になれないIT現場の人間がデスマーチとルーチンしてる現状では、やっぱり「管理とルーチンワークの鉄の檻」の中なんじゃないかと思いますが。
放置されたシリコンバレーのように自由にしていられるのは上層部だけ、という階層構造の視点が抜けているように思う。
そういう下層部の人間が、どうやって上層部にルールを守らせるのか? いやそれ以前に議論の土俵に乗れるのか?
という問題は、企業社会に常に付随してると思う。

まあそれぞれベンチャー立ち上げれば解決する! のかもしれないけど、資金と環境(特に家庭)の無い人間には無理なので、いっぽ間違えて自己責任論に陥らないでほしいなぁ、と思います。

ってかメアド公開したくないんですが

メアドは公開じゃありませんよ。

日本のIT現場がデスマになるのは、合理化のまるっきり逆の状態にあるからです。マニュアル化するのが難しいカスタムメイドな要求仕様、出入りが激しい人材、知識と技術が個人に従属してるのに、「人月」単位でしか評価基準を持たないド○タ的発想。

もちろん誰もが成功できると言ってるわけじゃありませんよ。そんなにこの世界が楽じゃないのは分かってます。でも、挑戦しなければ誰一人成功することはない。どっちがよりマシなんでしょうか?

毎回とても勉強になります!
自分は合理化という言葉にはそれほど良いイメージを抱いていなかったのですが、neleusさんの記事を読んで、そういう見方もあるのかーと目からうろこでした。ありがとうございます!

そこでひとつ質問があります。
最後のところに
>「本物」の人間と接することに時間を費やせ
とありますが、この場合、インターネット上ではなく日常生活で人間とよく接しなさいということでしょうか? それとも、人間のうちのより「本物」である人と付き合いなさいという意味でしょうか? ううん、悩みます・・・

ありがとうございます。

ここで「本物」というのは、マニュアルやルーチンのような定型的な関係にならない人って意味だと自分は解釈しています。直接、会って接したほうが得られるものは多いけど、普段の生活している場で出会える人は限られます。だから、それをインターネットで補うってのは良いことだと思います。

合理性という言葉は、科学と技術畑以外には本当に受けが悪いんよねぇ・・・

リッツァが批判するマクドナルドの合理的システムも、何を重要視するか視点を変えるだけで(労働者か経営者か、地方小店主か資本家か)、合理性の枠内で肯定することも否定することもできる。それをしないまま一足飛びに、

合理的システムが人間性を疎外 → 合理性=悪

と主張するポストモダンの立場は明快だけど危うさを覚える。合理性を取っ払って屋台骨をなくしたあと、何に依拠するつもりなの?って疑問を覚える。

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