水槽と家具

Archive for 4月 2010

2週間くらい前になりますが、ペンギン村に行って来ました。アラレちゃんはいませんでしたが、日淡から海水魚まで幅広く取り扱ってましたよ。

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都心のアクアショップは良くも悪くもネコの額みたいなところへ水槽を並べてますが、ここはすごーく広かった、駐車場もあるし。郊外って良いわぁ・・・自転車で一時間かかったけどな!

 

アクアブログを見て、ホウオウゴケが格好良い・・・(ここの写真とか)と思った。
ここでも取り扱ってたから飼育条件をあれこれ聞いてみた。残念ながら、CO2添加で高水温に弱いらしい(28℃以下推奨)ので、うちの条件下だと厳しそう。らくーに育てられて活着する種類がないか聞くと、ホソバミズゼニゴケをすすめられました。

1カップ、600円くらいと安かったので衝動買い。
で、しばらく様子を見て無事に水槽に定着したようなので今日、写真を撮りました。

撮影中に邪魔が入ったりもしたけど

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↑ これがそう、ちょっとブルトンっぽいね。とりあえず、釣り糸で流木に固定中

↓ デジカメの露出を変えた別アングル

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黄緑色の強い部分が新しく成長してきた部分。この調子でもさもさ増えてくれることに期待

オマケ

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最近、めっきり姿を見かけなかったサカサナマズ。キャットをもさもさ食べてるのを久しぶりに見かけた、この通り普段は流木に擬態しているから撮影する機会自体が少ない。

↓ 上の写真の別アングル、画面中央に埋まっている

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    原題:FREE: The Future Of A Radical Price
    邦題:フリー <無料>からお金を生み出す新戦略
    著者:Chris Anderson
    監修・解説:小林弘人
    訳者:高橋則明
    出版:NHK出版

     

    フリーと言っても特別なことをしたわけではなく、単に図書館から借りたのだ。Wired Visionの記事「クリス・アンダーソン著『フリー』、邦訳発売前に無料で全文公開」を読んで、すぐ予約を入れたのに結局、半年近くも待たされてしまった!おかげで旬は過ぎてしまった・・・Webのトレンドは、フリーからソーシャルグラフへ移りつつあるという話もある。

    とはいえ、この本が主張していることは面白い。伝統的な経済学の言葉でまとめるなら、

    デジタル情報は複製が可能なために、供給に制限がない。一方、享受する人間の時間は有限なので需要が制限されている。それゆえ均衡価格は0、つまりフリーに限りなく近付く、

    といったところか。

     

    フリーを成立させる方法

    無料の心理学的な有効性について、「予想通りに不合理」の事例が引用されたり、広告効果を狙って無料で商品を配る戦略は歴史が古い、という話から導入が始まる。以前に自分も書評で書いたが、コカ・コーラの創業時代にも広告を狙った無料引換券が存在していた。強力な広告のツールとして、フリーが有効に機能するという点が強調される。

    こうしたフリーのビジネスモデルをアンダーソンは以下の3つに分類する。

    • 直接的内部相互補助

    利益の一部を移転することで無料サービスを提供する。1円ケータイと言われた、携帯の端末代と通話料金の関係。ショッピングモールの無料駐車場、レストランの無料の香辛料など

    • 三者間市場、あるいは市場の”二面性”

    クレジットカードは利用者が使うカードの手数料を商店が負担している。Google を始めマスメディアは広告で利益をあげる。利用者によって生じるコスト(100万ものサーバーにかかる電気代、サービスの開発費用)は広告主が負担することで、フリーなサービスが提供できる。一方、サービスの利用者は広告商品を買うなど間接的に、システムを支えている。

    • フリーミアム

    基本サービスは無料で、拡張サービスを受ける5~10%の有料会員が他の無料会員のコストを負担する。flickrmixi, ニコニコ動画に限らず、多くのネットゲームもこれに含まれる。

     

    過剰供給が生む問題点?

    話の肝はデジタル情報は常に供給過剰になっている、という点だ。Web においてコンテンツがいかに供給過剰なのかは、Gigazineの記事「一体オンラインで何曲売れば、アーティストは生活していくことができるのか?を表す図」を見ると視覚的に理解できると思う。

    アメリカの最低賃金を音楽で稼ごうとすると、自費出版のCDは約150枚売れば達成できるが、オンラインの無料ストリーミング配信では450万回視聴される必要がある。いったい、どちらが「楽」だろうか? Webの現状はどうやって自分のコンテンツへ他人の意識をひったくってくるか、という超過密競争状態だということが分かる。

    ネット通販やSNSといったコンテンツ以外のサービスでも状況は似たり寄ったりだ。Webの発展が進むと、あらゆる労働はフリードマンが「フラット化する世界」で示したように、相対的に安い地域にアウトソーシングされるか、Google や Amazon のような勝者総取りのどちらかになるだろう。ただ、こうした「独占」がもたらす大きな社会的インパクトとして、「無料提供されるサービス」が拡大していくということだ。これをアンダーソンは「ポスト稀少時代」と表現する。

     

    「ポスト稀少時代」には、エネルギー問題の解決が不可欠

    うーん、しかし本当の意味で「ポスト稀少時代」を実現するには、エネルギー問題の解決が不可欠だと思う。なぜなら、我々の快適な文明生活は第一に、大量の化石燃料を消費することで維持されているからだ。で、それらの稀少性は新興国需要もあるから、高くなることはあっても下がることはない。資源動向の力学は、フリーとは真逆の状態だ。

    Google のエンジニアがハードウェアにかかるコストよりも電気代の方が高くなる可能性を指摘しているが、エネルギー供給は今後も多くの産業でネックになるだろう。とはいえ、エネルギー問題は難しい。水素からの核融合発電でも実現されれば、フリーエネルギーにかなり近い状態になると思うんだけどなあ。でもまあ、それはまだ当面先の話。

     

    ところで、自分は当たり前のように経済的なフリーが存在しうるという前提で話をしているが、アンダーソンによると30歳以上の人(つまり若い頃にIT革命を経験していない人)は、フリーという状態が成立すると直感的に理解できない、という話があった。

    実際のところ、どうだろう?

     

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    60cm水槽の流木をごちゃごちゃいじってましたが、少し落ち着いてきました。
    水槽の黄ばみもブラックホールで完全除去されました、活性炭は偉大。

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    アーマードプレコの傷も、その後は特に問題なく回復した模様です。
    エサを入れると勢い良くモフモフするようになってくれて、一安心

    ↓ 上の写真の別アングル。

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    ギギの体がすごーーく長く見える・・・縮尺おかしくない?

     

    流木が増えてご満悦の様子の2匹。
    上に乗っかられて重くないのじゃろーか

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    流木の位置が決まったので活着系のミクロソリウムやコケ類、クリプトコリネとか陰性植物をもう少し増やしてけたら良いなーと考え中。Charmの商品を見ながら、思案しているとこです。

     

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    週末に、新宿のビックカメラへ寄って店のDP2sで試し撮りをしてきた。
    メモリーカードへの書き込み速度などを実際にカードを持っていって試してみた。

    そんで、これと

    SDIM0010

    これが、SigmaのDP2sで撮った写真。

    SDIM0014

    いつも使ってるCanonのIXYと比べると色彩の階調が格段に深い・・・比較写真を撮ってくれば良かったんだけど、会社帰りだったからデジカメを持ってなかった・・・その代わり、店員さんがオススメしてくれた、RICOHのGRD3でも写真を撮ってみた。

    R7274417

    R7274420

    GRD3で撮った写真はシャープな印象を受ける。接写機能やUIの動作のキビキビしたところ、書き込み速度といった総合面で見ると、GRD3の方が使いやすそうだなーと思う。

    うーむ、どっちにしても高級ラインのコンデジの写りは、安いコンデジの物とは全然違うなあというのは実感できた。さてさて・・・どれを買おうかな。

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    先日、流木を買ってきたので60cm水槽に投入して様子を見てます。複数の流木を組み合わせてレイアウトする、というのは初めての試みなのでいろいろといじってる途中です。

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    水槽に手を入れたら落ち着かない様子のアーマードプレコとギギ

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    プレコの鰭が立ってるあたりが警戒心を象徴しています!
    まあ、あまりそんな風には見えませんかね・・・・・・

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    うーん、単に仲良さそうにしているようにも見える?

     

    でまあ、流木を追加して数日様子を見てましたが、2つ失敗に気付きました。

    • アク抜き済みの流木ではなかった

    初歩的なことですがショップで確認するのを忘れてました。上の3つの写真が黄ばんで見えるのは、ライトが白熱灯を使っているからだけではないのです・・・仕方ないので、活性炭の「ブラックホール」を投入しました

    • 置き方がまずくて、餌が詰まってしまった

    観察を一晩怠ってたら、流木 | ガラス壁 に餌が溜まっていた

     

    で、その結果がこれ。

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    夜の間にエサが足りなくて腹を減らしたギギがプレコを追いかけ回したようです。
    プレコの体と顔に傷がついてました。傷ついて剥離した粘膜が白っぽく見えてます。ギギが直接噛んだわけではなさそうで、流木で擦ったのだと思います。

    流木の配置を調節して様子を見てますが怪我は一日で外見上、治ったように見えます。ただ、傷口からの細菌感染はこわいので、再発が起きないように流木の設置の仕方には、まだまだ一考の余地ありです。

    それにしても、ギギは腹が減るとすぐに暴れだすなあ・・・・・・

     

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    The Library of Congress / hmerinomx

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    米国議会図書館が、twitterでの「公開」された全ログをアーカイブすることを発表した。Wired Visionの「米国議会図書館は、なぜTwitterの全ログを保存するのか」に詳しい説明が書かれている。

    今回の話を持ち込んだのはTwitterのほうだった。Anderson氏ら議会図書館の職員は、いくつかの条件付きでTwitterデータを収蔵することに合意した。

    その条件とは、検索エンジンへの公開は行なわない、単一ファイルの形では公開せず、許可された研究者にのみセットで提供する、といったものだ。

    現代の風俗などを記録する史料としての価値をtwitterに認めたということだ。

    その一方で、こうした発言がアーカイブされて永久に保存されることを(あるいはその可能性を)意識してネットで活動している人はどれだけいるだろう? twitterのように明確に保存が打ち出される前から、インターネット上の個人的な活動は検索の記録から閲覧したページまで、すべてが保存可能だ。アメリカでは犯罪者捜査にGoogleが協力した事例もある

    現代的なプライバシーの概念は、私的な情報の公開/非公開を決める権利から構成される。例えば、個人情報保護法は、「個人を特定できる情報」の公開範囲を本人が決定できるものとして扱っている。ただ、こうした概念はあくまで、web以前の感覚を引きずった対処療法のように感じる。というのも情報を管理する主体(≒個人)は、それが実際に存在するのか自分にとっては疑わしいからだ。もちろん、個人の人格や記憶の連続性を否定しようという意味ではない。

    自分が言いたいのは、twitter に垂れ流したすべてのtweet に対して、それを行った明確な意図を説明することができるか? 自分自身の発言や行動を人間はすべて「管理」しているか? という疑問だ。我々は、そんな厳密に自己を制御してはいない。権利を行使する主体として相応しいと思えない。webを閲覧し、発言を残していくことは、生物として存在する自身のコピーをwebに投影することだ。ボルヘスの「バベルの図書館」には個人の人生について記された書物さえ存在することが示唆されるが、我々のtweet はまさにwebというバベルの図書館にせっせと本を作ることに他ならない。だが、そうやって作られたコピーは「我々自身」ではないのだ。

    検索エンジンの精度が増し、ソーシャルなサービスと記録のアーカイブがより一般化していくこれからの時代、すべての記録が可能なweb上での「人間関係」の比重はもっと重要なものになる。日本でもようやくネット選挙が解禁されるわけだし。webの未来は仮想現実(VR)ではなく、拡張現実(AR)にあるのだ。

    それに伴ってプライバシーの考え方も変化するだろう。人間関係の認識すら変化するかもしれない。でも、今はまだ先は見えない。だから、「今」を記録しておくことに意義がある、振り返ってみて初めて気付く変化も多いのだから。

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    最新のBehavioral Ecology に興味をひかれる論文が載ってた。
    レインボーフィッシュを材料にした行動の論文を初めて見つけた。

    dwarf_rainbow

    研究に使われたのとは別種だけど、うちの水槽にいる同属のネオンドワーフレインボー(Melanotaenia praecox)、この属はオスの二次性徴として体高が増し、鰭に鮮やかな赤系の発色が生じる。

     

    Females increase egg deposition in favor of large males in the rainbowfish, Melanotaenia australis 

    (レインボーフィッシュのMelanotaenia australis は、メスは大きいオスが相手のとき
    産卵量を増やす)

    最新記事で全文ダウンロードできなったのでまだアブストしか読めてない。

    オーストラリアのEvansらによるこの研究は、メスが資源投資をどのようにコントロールしているか、を焦点にした研究のようだ。

    females mated first to relatively large males exhibited a reduction in egg deposition when subsequently paired with smaller males

    とあるので大きいオス → 小さいオス の順に配偶すると、後で配偶した小さいオスでは産卵量が少なくなる。このことから、メスは最近の繁殖経験を記憶していると考えられる。オスの体サイズに対するメスの選り好みは産卵量の配分によって維持されているようだ。

    また、大きいオスほど攻撃的でメスから卵をしぼりとってるんじゃなかろうかと攻撃性も考慮したけど、体サイズの違いと攻撃性は特に関係ないらしいので、性的対立の可能性はなさそう。

     

    繁殖期間中に何度も産卵するような種類では、こういう産卵量のコントロールってわりと一般的に行われてそうな気がする。ところで、昆虫に比べて魚で性的対立の話ってあまり聞いたことがない気がする。体外受精が多いから、繁殖行動に干渉しにくいからだろうか?

    マウスブルーダーテンジクダイ(オスが口腔で卵を保護する)では、フィリアル・カニバリズムが知られてるから、交尾と体内受精を行うカジカの仲間とかでは、どうなんだろう。

     

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    原題:Darwin’s Sacred Cause
    邦題:ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ
    著者:Adrian Desmond, James Moore
    訳者:矢野 真千子, 野下 祥子
    出版:日本放送出版教会

    ダーウィンはそもそも何のために種の起源を書いたのか?

    その根源には奴隷制度を廃止したいという情熱があり、特に黒人奴隷を「科学的に」擁護する人種の多起源論を粉砕したかったからだ、というのが本書の解答だ。ダーウィンを中心として、奴隷制をめぐる廃止派・擁護派の人物と科学者が入り乱れ、当時の時代背景が語られる。

    イギリスでは奴隷貿易が1807年で禁止され、1833年には奴隷制度が廃止されている。一方で、アメリカの南北戦争は1861~1865年と、南北アメリカ大陸での奴隷制の廃止は遅れていた。そうした奴隷制を「科学的」に正当化したのが、人種の多起源論である。種の起源が出版された当時、聖書の記述通りの「創造」が行われたとは既に考えられていなかった。

    当時は、大陸間でおおきく異なる動植物、それに人種は別個に創造され、それぞれ異なる歴史をたどって現在に至ったと考えられるようになっていた。ヨーロッパには白人、アフリカでは黒人、アメリカでは「インディアン」が別個に発展し、有色人種や黒人は「白人ほど」発展が進んでない、劣った人種であり、「白人」とは別種だとみなされていた。人が家畜を使役することに、倫理的問題がないのと同様に、異種である黒人を白人が使役しても何の問題もない、という論法である。ダーウィンが提示したかったのは、人類は同じ「共通祖先」を持ち、人種の違いは鳩や犬における品種の違でしかなく、暴力や抑圧が許される「別種」ではない、という圧倒的な証拠だという。

     

    「種の起源」が生物学に与えた本質的影響

    そうした人種の多起源論 vs 単一起源論という構図が「種の起源」の背景にあったのは確かだと思うけど、それ以上に生物学において「分類」と「系統樹」のどっちが本質かという問題が表面化したんじゃないかと読みながら思った。

    生物の分類法を提示したリンネも、実証的な比較解剖学のキュビエも、生物は不変で離散的なカテゴリーに「分類」できるものだと考えていた。しかし、多くの生物の標本を収集してデータが溜まれば溜まるほど、生物を「不変な」ものと認識することには無理が生じるはずだ。ダーウィンが提示した自然淘汰による進化とは、共通祖先から環境への適応や偶然によって派生と分化がすすむことで生じる「系統樹」こそが生物の本質だという考えに他ならない。

    分類と系統樹、このどっちを生物の本質とみなすか、ということは生物を理解していく上で最も大きなパラダイムシフトとなったんじゃあなかろうか。

     

    人間はどこまで他種の自由を許容すべき?

    暴力や抑圧が「同種」であるから許されないというダーウィンのロジックを拡張していくと、生物はすべて「同じ祖先」を共有しているのだから、あらゆる生物は暴力や抑圧から自由であるべきだ、というアニマルライト種差別主義の廃絶に行き着く。

    個人として、そうした考えには強い共感を覚える。

    しかし、人間が多数派を占める現代の社会では、動物実験の全面禁止は医療の進歩に影響することで「人間の抑圧」を招く。このへんのバランスが難しいのが、種差別主義の廃絶を阻む大きな要因だろう。また、日本でアニマルライトの考えが一般に普及しない理由が本書を読んで何となく分かった気がする。奴隷制の廃止という出発点が無いため、実感としてその必要性を説明するのが難しい、というのが大きいのだろう。

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    閃燈第一閃:Sigma DP2s / Adikos
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    今月の給料で、シグマDP2sの購入を検討している。GANREFというカメラのサイトを見るとDP2sの作例は本当にきれい。だけどこれって、どこからが使う人の「技術」で、どこからが「カメラの性能」なんだろう・・・それが分からん人は手を出すなってことかもしれん・・・
    むう。ま、踏ん切りが付かんかったらRICOHのCX3に日和るという選択肢もあるか。

    実機を触ったけど、今使ってるCanonのIXY70と比較するとまあ、ユーザーインターフェース(ボタン回りを含める)は劣るわけでもない。そう。あんま変わらんのだ、うーん。
    DP2sは今年の3月に新発売されたばっか。今のコンデジは5年前、型落ちを買ったもの・・・しかし、差がない・・・。元々、シグマは一眼レフ用のレンズ販売が主力でコンデジを売るようになったのは、2008年からと、つい最近の話だ。だから、光学屋としては40年と充実した壮年でも、ソフトウェアの歴史はまだよちよち歩きということなのだろう。

    Amazon KindleのハードウェアとUIをもっと洗練されたデザインを外注しろ、という趣旨の記事がCNET Japanに載ってたけど、全く同じことがシグマのコンデジにも言えそう。他のコンデジと比較するとUIのやっつけっぷりが、ちょっと悲しくなる、ベタ塗りの矢印とかやめて。せめて影で立体感つけてくれぇぇぇ・・・あと、FOVEONという特殊な撮像素子を使って画像の美しさが売りなら背面液晶はせめて40万画素にならなかったんでしょうか・・・無理ですか、そうですか。

    うーん、この手のユーザーインターフェースの開発がアンドロイドみたいにオープンソースで出来たら面白そうだなあとちょっと思った。最近は、ファームウェアのアップデートも普通に行われてるし、PCみたいにハードのUIをいじれたら面白そう。Googleがその辺を一発ぶち上げてくれないかなあ、OCRとかGoogle Googlesとか、光学的な仕事もやってるんだし。

    とまあ、UIについて文句を書いたけど今使ってるコンデジと比べて、さほど不便はなさそうだから、たぶん買いそう・・・あ、カメラ好きの友人からメモリーカードへの書き込み速度をチェックしとけと言われてたのに、忘れてた。今度、もっかい試してこようっと。

    20100516追記:

    なんだかんだで買いました。
    レビューは以下の記事で「DP2sのレビュー、とりあえず飼育魚を撮る

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    原題:Worlds Enough and Time
    邦題:へリックスの孤児
    著者:Dan Simmons
    訳者:酒井昭伸、嶋田洋一
    出版:早川文庫SF, 2009,12,30

     

    ハイペリオンのシモンズの中篇集。いわゆるSFと呼ばれるジャンルの小説。

    それぞれの作品に前書きとしてシモンズ自身が書いてる。これが本編以上に面白い。
    映画業界に対する不満と期待をぶちまけた、「重力の終わり」や、スタートレックの脚本執筆を依頼されて着想したアイディアを皮肉に披露する「へリックスの孤児」など。

    作品そのものは、ハイペリオン宇宙の後日談にあたる「へリックスの孤児」とイリアムの前日談にあたる「アヴの月、九日」を収録しており、既にシモンズの世界観を知っているファン向けだろう。自分の彼に対する評価は「ハイペリオンの没落」が最高潮だったが、そこからあとの作品は世界に対するメタ的なところ(著者の意図ともいう)が合わなくて距離感を持っていた・・・・・・

    そういう意味で、カラコルム山脈にある世界第二位のK2にアタックする「カナカレデスとK2に登る」は、素直に読めた。深海と並び高山は本当の「異世界」であることをよく知らしめてくれる。人の立ち入らぬ山には魔物がいるものだ。自分は「山より海が好き」な人間だが、それでもこの小説を読むだけで、シモンズがどれだけ山を恐れ、愛しているかが分かる。

     

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